一杯半&ナン1枚というモヤモヤする結果だな~どうも五杯は食べようと思っていただけに何故か悔しいドジからすです。

昨日は日本政府の緊急事態宣言中での椿屋カフェを記載しましたが本日は8月の新規開拓骨董市ネタになります。


砲弾の出店で貰ったり買ったり(敗戦の日に記載します。)して他の出店も見て回ったが特に無いかな~と思って最後の出店にはかなり古そうな古書類や雑誌や写真集等の紙物ばっかりを取り扱っていたので何か軍物書物は無いかなと漁っていたら今回のがあり格安の200円という値段で購入しました。

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【海洋少年総合・海軍雑誌 海と空・6月号】
海軍国家であった日本ならではの雑誌で主に日本海軍の艦艇及び航空機に関する内容で6月号のテーマは【駆逐艦の研究】となっています。

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昭和19年5月25日に印刷と製本をして6月1日に発行されたようですがこの雑誌は敗戦後も発行は続いたららしく1960年代辺りまではあったようですが無論敗戦後は日本海軍関連の内容は無くなり普通の海洋系雑誌になったようです。

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最初のページから雑誌のスポンサー広告になりますがやはり戦時中だけある内容になりますが・・下にある内容が「コンドル・アクリル・スチロール・レンズ」普通に敵性用語が盛り盛りで上記にも書きましたがこの雑誌は昭和19年に発行された雑誌で対米戦の最中であり検閲で明らかに引っ掛りそうですが・・昭和18年製の旧日本陸軍送話器変成器パーツ(2019年9月16日参照)にすら英語が用いられていたため英国海軍を参考にしていた日本海軍なら仕方が無いのかもしれません。

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駆逐艦の研究とはありますがそれだけではつまらないためか各種巡洋艦(軽&重)や航空母艦や海防艦や潜水艦等の当時撮影された写真が隙間なく印刷されてありこちらのページでは偵察任務?から給油のために友軍基地に着水~離水する九七式飛行艇について写真付きで当時の少年達にも分かりやすく簡潔に書かれてありす。

ちなみに「九七式飛行艇」ですが・・1938年に川西航空機から生産が開始された飛行挺で生産が開始されてからの初の実戦は1941年に南洋諸島にてオランダ海軍に対して行った爆撃及び雷撃でしたが成果は上がらず逆にその巨大な機体が災いして連合軍機からは射撃の的だったらしく大東亜戦争中盤辺りからは撃墜&撃破による機体損耗が激しくなり主任務を長距離偵察や対潜任務に用いられましたが連合軍からはMavis(メイヴィス)というコードネームで呼ばれていました。

その後は主任務を後継機の二式大挺に譲り残存機は連絡機や輸送機として後方任務を地味に遂行しつつも敗戦後も緑十字機として講和公使を輸送したり現金輸送機や医薬品を各離島に届けたりと長く使われていました。


6月号は駆逐艦特集ですが日本海軍以外の駆逐艦もラインナップされていました。

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まずは同盟国であるNS独海軍のレーベルヒト・マース級及びロエダ級の駆逐艦ですがレーベは大絶賛大規模イベント中の某運ゲーでお馴染み(当社比 であるから今後出るであろうロエダ級について・・と思っていましたが調べても何故か見つかりませんでした。

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同盟国のもあれば・・連合軍の米英駆逐艦も記載されていました。

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敵側である米英駆逐艦の研究特集になります。

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艦艇以外にも連合軍機についての研究結果が書かれていますがかなり資料的な価値があります。

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裏表紙も最後まで戦時色濃厚な内容で終わりましたが当時は一冊税込み65銭とそれなりに値が張っていましたが今回は200円(令和2年)と格安で購入しましたが・・

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元々はなぎさ書房で500円で売られていたらしくそれが回りに回って当方が購入して⛰️ヤマノススメのソフトクリーム屋🍦で読み耽っていました。

明日は端からの通常更新になります。